どケチ夫婦のどケチ3人育児法~どケチな毎日を明るく楽しく豊かに生きる!~

ドケチ夫婦が、いかに子ども3人をどケチに育て上げるか、日々のどケチっぷりを紹介するブログです☆

お金の器、人間の器。

今年は梅雨なんてあったっけ??って感じで、あっという間に猛暑突入となってしまいましたねι(´Д`υ)アツィー

暑がりのため、エアコンフル回転で今月の電気代が恐ろしいどケチ妻・A子です(;´Д`A ```

 

さて、今日は「お金の器、人間の器」というテーマで、珍しく??マジメなお話を…<(_ _)>

 

…私どもどケチ夫婦は、結婚以来お金についてのあらゆる書物を読み漁り、様々な形で勉強を続けてきました。

そのきっかけとなった出来事などについてもおいおいお伝えしていきたいと思っていますが、こうして今も夫婦でお金について考えたり、学んだり、話し合う中で、改めて自分の心の深いところに眠っていた“感情”に向き合っています。

その1つに、亡くなった私の祖父母の過去があります。

 

私の母方祖父母は、戦後焼け野原だった東京の下町を生き抜き、2人の子どもを育て上げました。

物がなく、みんなが貧しい時代に、祖母は洋裁の仕事で家計を支えてコツコツお金を貯め、娘(私の母)が成人する頃やっと家を購入!

質素倹約を地で行く夫婦で、楽しみと言えば庭いじりぐらい。

子どもたちが巣立った後も贅沢とは程遠い地味な生活を送り、外食や旅行にもほとんど行きませんでした。

私が遊びに行くと、いつも祖父は静かに囲碁を打ち、祖母は私たち孫のためにお洋服やらお人形やらを手作りしていました。

 祖母は娘の成人式の振袖や結婚式のウェディングドレスも作れるほどの洋裁の腕前で、今も実家には祖母がデザインし、母が着用したカクテルドレスやスーツ等がたくさん残っています(o^―^o)

 

物がない時代を生きたトラウマなのか、祖父母は壊れた物でもなんでも修理して使い続けていましたし、デパートの包装紙や贈り物の箱、着られなくなったお洋服の切れ端等全て捨てずに保管して、ちょっとした小物をこしらえたりしていました。

 実に慎ましい老後を送った後、祖父は寝たきり、祖母は認知症となり、最期は長年住み慣れた自宅ではなく、祖父は病院で、祖母は老人ホームで亡くなりました。

 

祖父母のそんな長い介護生活を見ていて思うところ、考えさせられたこともたくさんありましたが、それ以上に私がショックを受けたのは、祖父母の2人の子ども(私の母と母の弟)の豹変ぶりでした。

 

…祖父母は要介護状態になった時、なんと数億円という金融資産を蓄えていたのです。

そして、その事実を知った2人の子ども(私の母と母の弟)は驚愕、狼狽し、豹変したのです。(少なくとも、孫の私にはそう見えました。)

 

よく、宝くじに当たった人が、その後破滅の人生を送ると聞きますが、まぁそんな感じに近かったと思います。

 

要は、その人の器に見合った分のお金しか、受け取れないようになっているんですね。

…器以上のお金が降って来ても、身を亡ぼすだけ。

 

私の母は、もともと関係が悪かった私の父とお金のことでますます関係が悪化しましたし、母の弟は、遺産が入る前よりもっともっと貧乏になってお金に悩むようになりました。そして当然のごとく、祖父母の子ども同士(私の母と母の弟)は一気に険悪な関係に陥りました。

 

…本当に哀しい話です。

 

祖父母は決して、子どもたちを不幸にするために遺産を遺したわけではありません。

むしろ、子どもたち、孫たちに少しでも幸せになってもらうためにと思っていたはずです。

 

真面目に、質素に、一生懸命生きた祖父母が、これだけの金融資産を持ちながら、人生の最期を自分の思うような形で終えることができなかったこと、そして亡くなった後に自分の子どもたちがお金のことでいがみ合うようになってしまったこと。

その原因は1つではありませんが、少なくとも私は、お金のことから逃げずに、きちんと向き合って勉強しよう、お金のことで苦しんだり大切な人を苦しませたりしない人生を送ろう、と思うようになりました。

 

私たちどケチ夫婦は、まだ幼い自分の子どもたちにも、これからゆっくり時間をかけて、お金について教えていきたい、教えていかなければならない、と思っています。

それは、読み書きそろばんと同じぐらい、大切な教育だと考えています。

 

ちょっとしんみりしてしまいましたが、今日はこの辺で☆