あの事件も「教育虐待」だったのでは?という話。
時々「ふっくらこ」というロッテのガムを思い出しては、
再販を切に願う…元どケチ妻・A子です<(_ _)>
・・・皆さん、「教育虐待」という言葉をご存知でしょうか?
「児童虐待の一種。教育熱心過ぎる親や教師などが過度な期待を子どもに負わせ、思うとおりの結果が出ないと厳しく叱責してしまうこと。」だそうです。
親が子どもに強いる対象としては、❝勉強❞に限らず❝音楽❞❝スポーツ❞❝習い事❞も含まれます。(※漫画『巨人の星』などは典型的な教育虐待に当たります。)
この教育虐待、昔っからあるわけですが、特にこの10年で大きく取り沙汰されるようになってきました。
発端は、2010年のヨーロッパ教師教育学会で武田信子さんが「エデュケーショナル・マルトリートメント」という概念を発表したことです。
(※「エデュケーショナル・マルトリートメント」とは「親による教育虐待だけではなく、社会全体の歪んだ教育観によってなされる、大人たちから子どもたちへの不適切な行為」のこと。)
一昔前の教育熱心な親というと、❝東大❞といった高偏差値の難関大学に合格させる!という分かりやすいタイプでした。
しかし、近頃の教育虐待はより根深く、複雑化していて、傍からは分かりづらくなっているのです。
先の見えない時代。
英語もダンスもプロラミングも、あれもこれも「大人になるまでに身に付けておいた方がいいだろう」と際限なくコンテンツを追加し、子どもを「より良い商品」に仕上げて出荷したいという大人の焦りが強まってきているのではないでしょうか。
『ルポ教育虐待』👇の著者おおたとしまさ氏は「教育虐待をしている親の多くは無自覚」であり、「あなた(子ども)のため」と言いながら親自身の❝不安感❞を解消するため、もしくは親の❝不全感❞を満たすために子どもを利用している、と指摘しています。
先日埼玉県戸田市で、白昼堂々中学校に刃物を持った高校生が押し入り、教師を切りつけるという殺人未遂事件があったことをご存知の方も多いと思います。
この事件👇の背景にも「教育虐待」があったのでは?と私は疑っています。
また、昨年6月に起きた、丸の内「オアゾ」(大型商業施設)での小学6年生による転落自殺👇
この日は、塾の模試帰りだったとのこと。
中学受験を子ども自身が望み、子ども自身が1人で思い詰めて自殺する、ということは考えにくいと思います。
❝教育虐待❞に近い環境に置かれていた可能性を疑ってしまいます。
そして、今も未解決の昨年末から行方不明事件👇
写真を見る限り、普通の真面目で優しそうな男の子。
この中学3年の男子生徒も「塾に行く」と言って家を出たきり、行方不明になっています。
・・・状況からして❝家出❞の線が濃厚でしょう。
親としては「良かれと思って」「子どものためを思って」「将来を期待するからこそ」子どもに惜しみなく教育投資し、投資したからこそ「優秀な成績⇒経済的な成功」という❝見返り❞を少しでも求め、更に要求をエスカレートさせていきます。
こうして、❝教育❞という名の下に、いつの間にか子どもの意思や感情、欲求を無視した大人の暴走が始まっていくのです…。
私が、この「教育虐待」を切実な問題として捉えている理由は、
まさに「今の学校環境がエデュケーショナル・マルトリートメントそのものだ」と思っていることにあります。
武田信子氏によると、
①勉強や宿題の時間を過度に優先して、子どもが遊んだり、休憩したり、睡眠をとったりする時間をはく奪し、健康と発達を阻害する。
②子ども達が苦痛なほどつまらない授業を続け、主体的に学ぶ場を与えない。
③勉強についていけない子ども達に配慮しないまま、ずっと椅子に座らせておく。
④問題行動を起こす子どもを人前で頭ごなしに叱責する。
なども全て「エデュケーショナル・マルトリートメント」にあたるそうです。
(うちの娘の学校なんて、まさに②そのまんま💦)
親はもちろん、学校の先生、地域の大人、この日本社会全体が、不確実な時代を生きる自らの不安と焦りを子ども達に投影してしまっている危険性に、早く気付かなければなりません。
これを読んでくださっている方のお子さんの中に、❝登校渋り❞を示していることがあれば、お伝えしたいことがあります。
本来、学ぶって楽しいものです😊✨
だから、楽しくない学校なら、行く必要ありません😊💖
「学校に行く」ということが、子ども達に死に匹敵する恐怖や不安を与えている教育環境にあることに気付いてください。
あなたのせいでも、子どものせいでもありません。
先生のせいでも、意地悪なお友達のせいでも、発達障害のせいでもありません。
単に、教育システムとイデオロギーが時代遅れなだけ。
時代の最先端を行く仲間として、共に楽にのびのびと自分らしい道を探していきましょう🎶
ではまた(@^^)/~~~